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日本社会の中をキリスト者として正しく生きる<6>

A.K.

2023年6月11日

《“創造主なる神”だけを礼拝する民として人々から識別される》

ヨハネ4:23-24
出エジプト31:13

1)   メッセージのサマリー

2021年のリサーチによると、日本には最大で約0.2%しか創造主なる神様を礼拝する人々がおらず、私たちキリスト者が圧倒的少数者としてこの国に存在していることがわかる。天地の創造主である神様を真に礼拝できるのは、イエス・キリストを信じて救われた“霊”と、神様に対する真の知識である“まこと”によって礼拝することのできる、私たちキリスト者だけである。日本社会において圧倒的少数者であっても、私たちは、神様に「聖別された者」として「“礼拝日”を定めて神様を礼拝すること」を必ず守り行わなければならない。なぜなら、キリスト者とは、創造主なる神様を“礼拝する民”だからである。神様は礼拝者を喜ばれ、礼拝を通して、深い交わりと備えられた恵みを明らかにしてくださる。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

私たちは創造主なる神様を“礼拝する民”である。私たちはこの日本において絶対的少数者でありながら、このアイデンティティを保ち続けているのだ。メッセージにあった、礼拝の基本的な構成要素は、a. 賛美(捧げものをする)b. 御言葉の学び(神の御心を悟る)c. 祈り(御心へ応答する)の三つである。キリスト者は“地上の人生”を生きている間、a. 礼拝日を定めて(曜日、時間、場所にこだわる必要はない)b. 神様を礼拝することを必ず守り行わなければならない。日常生活の中に、よき習慣として神様を礼拝する日があり、自ら「聖別して」この礼拝の時間を持つことが必要である。習慣化するまでは葛藤もあるが、このよき習慣こそ、私たちを建てあげる軸となり、恵みの時間となり、さらには神様が心から喜ばれる私たちの姿なのである。形式にはこだわらず、霊とまことによっていつでもどこでも礼拝を捧げることができるのも、この時代のキリスト者の特権である。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

この時代この日本における神の民。

形式にとらわれることなく、創造主なる神だけを真に礼拝し続ける。

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