A.K.
2023年5月28日
《“世・よ”にある“悪・あく”と正しく向き合う》
1テサロニケ5:15
ローマ12:19-21
1) メッセージのサマリー
この“世・よ”には、罪に支配された人間が、思い・言葉・行動によって作り上げている「“不正義(=神の前に正しくないこと)”の世界」である“悪・あく”が存在しており、私たちも生きている間に必ず出会う。私たちキリスト者は、聖書の教えに従って、その“悪・あく”と正しく向き合い、振る舞わなければならない。私たちが“悪・あく”と対峙したときに、第一の行動規範となるのは、自らが“悪・あく”に陥ることなく、「善=神の御前に正しい良いこと」を実践することである。さらには、「自ら復讐しない」ことを実践しなければならない。私たちには「神様の悪に対する報い」が約束されており、その神様の義による報いに委ねること(=復讐の権利を神様に差し出すこと)ができるからである。そうすれば、私たちになされた“悪・あく”が際立ち、神様の御前にいっそう明らかにされて、それに相応しい報いを受けることとなる。
2) インスピレーション&アプリケーション
「私たちが自らの手で復讐をしなくてよい」という真実は、何という自由、何という解放であろうか。悪をなした者が、そのことを反省もせず、償いもせず、野放しになっているように見えたとしても、神様はそれを見逃されはしない。だからこそ、自らは“悪・あく”に陥ることなく、神様の善は何かに目を向けることができる。「悪に負ける」とは、「自分の世界を破壊されることではなく、悪に対峙するために自らが悪に陥ること」とのメッセージは心に刺さり、また復讐心にとらわれたまま本当にするべきことをしないのは、神様が喜ばれることではないのだと改めて思わされた。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
悪をもって悪に報いず 神の報いにゆだねきるとき そこに神の義がなされる。