
A.K.
2025年9月28日
《Scripture97:『わたしも、何 の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。』ルカ20:8》
ルカ20:1-8, 9:1
1) メッセージのサマリー
祭司長たちが、イエス・キリストを罠にかけようと働きの「権威=根拠」について質問をしたのを受け、キリストもバプテスマのヨハネがしていた“働き”についてその根拠となる“権威”を問うた。それに対し祭司長たちは、どの回答によっても自分たちの立場が脅かされることを恐れ、「“権威”を与える源」を探り認知するという「するべきこと」を放棄した。つまり、彼らにとっての“権威”とは、「自分たちに及ぼす力の度合い」によって、恣意的に決定される「相対的なもの」であり、その“権威”を与えている「源そのもの=神様」を畏怖して無条件で受け入れる「絶対的なもの」ではなかったのである。神様は“神の家”であるキリストの教会とそこで仕える指導者たちに、神様のみ働きに仕えるための様々な“権威”を授けてくださっている。そのような“権威”を受け入れて従うキリスト者は、神様の“守りと恵みの盾”の中に身を置くことができ、それは強制ではなく一人ひとりの選択なのである。* 権威:事を為すための力の源
2) インスピレーション&アプリケーション
「権威」は「神からのもの」と答えればなぜ信じなかったのかと追求され、「人からのもの」と答えれば民衆から非難され殺される。どちらを答えても自分たちの特権や立場が揺らぐと気づき、「どこからか(権威の源を)知りません」と回答した祭司長たち。イエス様の切り返しは、いつもシンプルかつ核心に触れるものであり、真理そのものであるが故に揺るがない。元々そこにある「絶対的なもの」が自分の中に深く浸透しているからこそ、の態度である。しかし祭司長たちと同じように私たちも、神様からの権威であるにも関わらず、教会や指導者たちの働きや助言を「相対的なもの」とみなし、目の前の状況や相手の様子から日和見的な判断をしてしまうことがあり得る。イエス様の姿に学び、人を恐れず神だけを畏れ、揺らぐことなく、「絶対的権威」を受け入れ従うことを選び取りながら、守りと恵みの中、するべきことを積み重ねてゆきたい。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神が与える権威を受け入れ従う者は
守りと恵みの盾の中 人を恐れず 揺るがされず
真っ直ぐな道を歩むことができる