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〜聖書「重要聖句」講解<96>〜

A.K.

2025年9月21日

《Scripture96:『「わたしの家は、祈りの家でなければならない」と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。』ルカ19:46》

ルカ19:45-48, 41-44

1)   メッセージのサマリー

イエス・キリストは、本来は神様に祈りを捧げ神様と交わりをもつ“聖なる場所”である“神の家”を、自分たちの利益のために悪用している者たち(商売人)を駆逐し、糾弾された。一方で、商売人たちに許可を下し、神の神殿を“強盗の巣”として利益を得ていた者たち(祭司長、律法学者たち)は、それを邪魔しようとするイエス・キリストを敵視し排除する機会を伺い、ついには「十字架につける」ことに成功したかに見えた。しかしそれは、“神様のご計画”の中での復活と救いの御業の完成へと繋がっていったのである。神様は“神の家”であるキリストの教会を「悪用する者たち」を、“定められた時”に必ず取り扱われて駆逐され、“教会の回復”を成し遂げてくださる。ある時には、そのように「悪用する者たち」が勝利するように見えても、神様は必ず“教会の回復”に取り組む者たちに“逆転勝利”を与えてくださる。またイエス・キリストの“宮きよめ”は御心がなされるプロセスを現しており、悪をはびこらせないために“神の宮”である私たち自身を歪んだ形のままにしておかず、悔い改めによって本来あるべき姿に“宮きよめ”していくことも重要である。


2)   インスピレーション&アプリケーション

本来“良いもの”が「悪用され歪められている」と実感するとき、「本来の良いものに戻す」ための働きに、自分の役割を果たすことができるだろうか。そのためには、①神の宮を「悪用する者たち」を用いる悪魔の働きを見極める霊性を養い、②そのような者たちの働きに付和雷同して取り込まれず神様の真実を悟り、③託されたするべきことに毅然として取り組み結末を神様に委ねる、ことを学んだ。これは教会で起こることだけではなく、日常の家庭生活の中でも“良いもの”が悪用され歪められることは十分に起こり得る。怨念ばらしのために子どもたちと関わっていないだろうか、家族や身近な人たちに心の叫びをぶつけて貪ってはいないだろうか…。正しい心で自分の家の中を歩むために、示されたときに躊躇せず、神様の御前に進み出て悔い改める、自分自身の“宮きよめ”も必要だと感じた。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

歪められたものが 本来あるべき姿を取り戻す

真実を求める者に 神様が見せてくださる恵みの御業

© イエス・キリスト誠心教会

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