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〜聖書「重要聖句」講解<93>〜

A.K.

2025年8月31日

《Scripture93:『まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。』ルカ18:7》
〜“神中心信仰”のステージで生きる <2>〜

ルカ18:1-8

1)   メッセージのサマリー

たとえ話の“ひとりのやもめ”は無力な社会的弱者であったが、自分の利益だけを求める“不正の裁判官”を「うるさくて仕方がない=社会的地位を傷つける」と心配させるまで、自分の正当な権利擁護を懇願し続けた。その“懇願”が結果的に“不正の裁判官”を動かし、この女のために裁判をなすという良い結末をもたらした。よこしまな者たちが悪い動機からでも、ときには良いことをするのに、まして正しい神様が、神の民のために「正しいこと」をなさらずに放っておくことはない。この箇所のテーマは“真の信仰”についてであり、それは①神様は神の民の祈りと願いに応答して、最善最良の御業を“神の時”に現してくださることを確信し、②その信仰を保ち続けて、失望せずに祈りと願いを捧げ続けること、によって養われる。


2)   インスピレーション&アプリケーション

「神様のなさることは最善最良である」という確信を、私は信仰のど真ん中に置くことができているだろうか。「祈り願うのをやめてしまうのはこの確信が薄いから」という指摘はもっともだと思った。そして神様がなさることはすでに最善最良なのだからと悟った気になり、その実「強く祈ったり願ったりしても結果は変わらない」という無力感からくる思いのこともある。しかし無力で社会的な弱者であるやもめは、無力感に苛まれずにこの不正な裁判官にさえ諦めず、うるさいほどに懇願したのだ。神様に懇願する方がよほど簡単で希望がある。神様は私の祈りと願いを聞いてくださる方であり、その応答として「神の時に最善最良をなされる」ことを自分の中に深く刻み込み、諦めずに祈り続け、その応答がなされる神の時を待ち続けたい。いくらしつこくてもうるさくても、その私の姿を喜んでくださる神様を思いながら。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

神さまがくださる最善最良のご応答

あきらめずに祈り願い続ける

失望せずにその時を待ち望む

© イエス・キリスト誠心教会

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