
A.K.
2025年8月24日
《Scripture92:『十人きよめら れたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、誰もいないのか。』ルカ17:17-18》
〜“神中心信仰”のステージで生きる <1>〜
ルカ17:12-19
1) メッセージのサマリー
ユダヤ人共同体から隔離されていた「十人のツァラアトに冒された人」たちはみな、イエス・キリストの癒しの御業を求め、それを受け取ることで、現実社会での「大きな利益」を受け取った。九人は現実社会での「大きな利益」を確定すること(癒しの証明による社会復帰)を、イエス・キリストを礼拝し感謝を捧げることよりも優先させた<“ご利益信仰”の行動原理>。しかし、そのうちの一人のサマリア人は、現実社会での「大きな利益」を確定することよりも、イエス・キリストを礼拝し感謝を捧げることを第一とした<“神中心信仰”の行動原理>。そして“体の癒し”と同時に“霊の救い”を受けるという、全人的な“癒し”を受け取った。神様は、神様の愛(あわれみ)を求めてくる者たちに、御心に従って必要を満たすさまざまな“恵み”を授けてくださる。その受けとった“恵み”以上に神様ご自身を求め、感謝し、礼拝する者たちを、神様は祝福してくださり、さまざまに備えてくださった“真の恵み”を受け取ることのできる“地上の人生”を歩ませてくださる。
2) インスピレーション&アプリケーション
もちろん神様は私たちの願いや祈りを受け取り、“恵み”を授けてくださる方である。そのときに、現実の利益を手にすることだけを優先させるのか、なしてくださった神様をあがめるのか。“ご利益信仰”か“神中心信仰”か、それは「叶えられない願いが自分の中に積み上がってくるとき」にあらわになる。そのようなときこそ、「神様から離れるのではなく、かえって神様に近づいていく」そのような無条件の信頼を神様は喜ばれる。LEAN ON ME(あなたが弱いとき、悲しいとき、痛むときにこそ、信頼をもって隣にいる私:神によりかかりなさい)というゴスペルの曲が思い浮かんだが、まさにそのような信仰をあらわしていると思った。そしてまた画家ホンダマモルさんの「背を伸ばすきみと 腰を曲げるわたしと」というみことばに寄せた絵とフレーズもピタリときた。そのみことばはヤコブの手紙4章8節。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」私たちに近づいてきてくださる神様に信頼して、この道を歩み続けたい。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
求めていた願いが叶わないときも
願っていた祈りが聞かれないときも
今はその意味がわからないとしても
わたしの全てはあなたの御手の中にある