
A.K.
2025年8月17日
《Scripture91:『つまずきが起 こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。』ルカ17:1》
ルカ17:1-4
ヤコブ1:14-15
1) メッセージのサマリー
人は、自らの“罪性=自己中心性”によって、悪魔が人を神様から引き離そうとする「罪の誘惑」を受け入れ「つまずく」。つまずかせた者への責任転嫁、自己弁護の言い訳は神様の前では通用せず、その最終責任は自らが負わなければならない。そして、自らの“罪性=自己中心性”がゆえに、あえて他者に「つまずき」を引き起こし、しかもそれを悔い改めない者(➡︎未信者の行動原理)も、神様から厳しい報いを受ける。しかし、“つまずいた者たち”も“つまずきを引き起こした者たち”も、戒めを受け入れて悔い改める者たち(➡︎キリスト者の行動原理)は、神様からの“完全な赦し”を受け取ることができる。その者たちが訓戒を受け入れて悔い改めたら、神様が赦すようにその者たちを赦し、再び聖徒の交わりに迎え入れなければならない。私たちは「つまずき」を避けて、備えられた恵みの中で“地上の人生”を生きることが重要である。
※ つまずき=誘惑されて罪を犯すこと。正しい道から逸脱すること。神様(信仰)から遠ざかること。
2) インスピレーション&アプリケーション
私たちは生まれ持った自己中心性のために、その弱さのために、つまずく者にも、つまずきを引き起こす者にもなりうる。しかしながら、その自己中心性とつまずきをよく理解するならば、“誘惑の罠”を避けて「つまずき」から身を守り、他者にあえてつまずきを引き起こさないよう注意することができる。そして何よりも、「つまずき」に陥ったときには早く認めて訓戒を受け入れ、悔い改め赦されることで、正しい道に戻ることができることを知っているのといないのとでは大きく異なる。神様に促されたならば戒めを受け入れ悔い改める、神様の前での謙遜、柔らかさを持ち続けたい。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神様の前での柔らかさを保ち続ける人は
つまずきから身を避けることができる。