top of page

〜聖書「重要聖句」講解<88>〜

A.K.

2025年7月27日

《Scripture88:『その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。』 ルカ15:29》
〜放蕩息子の帰郷〜 Part2:“子としての特権”を生かせなくする“心の暗闇”

ルカ15:25-32

1)   メッセージのサマリー

父親が次男を赦し受け入れて祝宴を開く様子に直面し、“心の暗闇”が一気に噴き出した長男は、世的基準で次男と比較し、自分が「正当に評価されていない」と「心の叫び=“たましい”の飢え乾き」を父親にぶつけ(過剰反応)、関係遮断という“悪循環パターン”に囚われていった。次男をどう取り扱うかは「父親が決めること」であり、一見正当性のあるように見える長男の主張は「自分の守るべき分(ぶ)」を超えた不当なものであった。神様は、“心の暗闇の支配”から私たちを救い出そうとしてくださる一方で、“神の義=神様のみ前での正しさ”を蔑ろにされることはない。私たちキリスト者は、次男でもありこの長男でもあり、自らの心(たましい)の中に「暗闇の支配=“過剰反応”への囚われ」を宿す者たちは、“子としての特権”の真価を生かした価値ある“地上の人生”を生きることができない。


2)   インスピレーション&アプリケーション

まず、私たちはどちらか一方ではなく、次男でもあり、長男でもあるということ。子としての特権を回復された者でもあり、その特権を生かせなくする“心の暗闇”を抱えた者でもある。神様との深い交わりの中で自身の“心の暗闇”から解き放たれ、その支配力をコントロールする鍛錬を重ねていく必要があり、回復された“子としての特権”を生かす人生を送ることが神様が願っておられることでもある。もう一つは、神の義(良いこと、必要なこと、するべきこと)はゆずられることなくなされ続けるということ。分を超えた理不尽に対しても、また悔い改めた者の許しと回復に対しても、義として行われていくのである。神の義の前に必要があれば態度を変えるのは私たちの側であり、神様に信頼するがゆえの柔らかさを持ち続ける者でありたいと思った。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

私たちを心の暗闇の支配から解き放ち、

子としての特権の真価を生かす人生を喜ばれる神様は、

本当に必要なことをなし続けられる義なる方。

© イエス・キリスト誠心教会

bottom of page