
A.K.
2025年6月1日
《Scripture80:『安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。』ルカ13:16》
ルカ13:10-17
1) メッセージのサマリー
宗教学者たちの律法への“こだわり”は、自らの社会的地位を守るための自己中心的なものであり、自らの“存在不安”を覆うために構築した“バリアー”である。“自分の世界”を保とうとする“こだわり”は、“神様の御業のリアリティー=神の真実”から人々を遠ざけ、囚われの束縛の中に留まらせ続けるばかりか、神様が本来意図していない重荷を人々に課すものとなる。一方で、自らが創り上げた“こだわり”というバリアーを打ち破って、直面する“神様の御業のリアリティー=神の真実”の恵みを受け入れる“選択・決断・実行”をする人々は、“束縛の力”から解き放たれて自由になることができる。つまり、“自分の世界”の真の姿を悟り、“神の愛”によって“たましいの必要”を満たされて“神様の御業のリアリティー=神の真実”に向き合うとき、“こだわり”というバリアーを乗り越え、“自分の世界”の中に“神の国=支配”の拡がっていくことを実体験することができるのだ。
2) インスピレーション&アプリケーション
「これじゃなければダメだ」「この枠組みでしか行動できない」と思い込んでいる私たちの中の“こだわり”。それは紛れもなく、自分存在を、自分の世界を守るためのバリアーとなっている。それ自体は初めは恵みとして与えられた良いものだったとしても、自己中心に生きる私たちは、与えてくださった神様の本来の意図を無視し自分存在を守るために利用してしまう。その仕組みに気づき、自分の“こだわり”を深掘りすることで真の必要を悟り、その満たしを神様に求め、神様の真実と向き合う。私の世界の中で、神様の真実と出会う。こだわりが作る束縛の狭い世界に生きるのではなく、こだわりを捨てて神様の真実による広い世界、恵みの世界に生きたいと、宗教学者たちの姿を通して改めて思わされた。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
私のこだわりを捨て、神の真実を受け取る。
それでも私の世界は壊れることはなく、
恵みに満たされ神の国が拡がってゆく。