
A.K.
2025年4月13日
《Scripture74 : 『 とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。』ルカ11: 41》
ルカ11 : 37-42
1) メッセージのサマリー
外側の体裁(儀式)を整え「するべきことをしている」と誇っているパリサイ人に対し、その内側は「悪いもの・自己中心」に支配されていると、その世界の実態を明らかにされたイエス様。神様が本来、私たちに求めておられるのは、「外側の行い」を生み出している「内側の良いもの」であり、“内側”に“良いもの”が実在していれば、それがおのずと“外側”の「良い形」を形成することを教えられた。私たちキリスト者は、自らの“スピリチュアリティー・霊性”の〈核心=“内側”〉に、『神中心の世界観・価値基準・行動原理』によって形成された“良いもの”が創造されて実在する、実体のある“好循環パターン”を形成しなければならない。そうでなければ、“外側”が体裁よく整えられただけの、“はず・ふり・つもり”の“虚構の世界”が形成されてゆく。それは、自らの“たましいの必要”を“神の真実”によって解決できていないことから作り上げられる“悪循環パターン”である。
2) インスピレーション&アプリケーション
ゴルフでは「人に嫌な思いをさせないため」にマナーとエチケットが定められたのに、マナーとエチケットを盾に人にかえって嫌な思いをさせるゴルファーもいるとのこと。律法の元々の目的を蔑ろにして、体裁だけを整えようとするパリサイ人とまさに同じだと思った。内側に実体がなければ、外の世界から自分を守ろうと外側(体裁)だけに気を取られてしまう。内側の真の姿は神様と自分だけが知る世界ではあるが、その内側が外側にも滲み出てしまう。自分の世界の内側に、本当に神様の良いものが据えられているのか、“はず・ふり・つもり”となっていないか、改めて自分自身に問い直さなければならないと思った。神様が喜ばれるのは、私たちの内側に良いものが確かに据えられていること、なのだ。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神様が私たちに求めておられるのは
外側の行いを生み出す、内側の良いもの。
一から建て上げられた確かなもの。