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〜聖書「重要聖句」講解<62>〜

A.K.

2024年12月15日

《Scripture62:『あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。』ルカ7:9》

ルカ7:1-10

1)   メッセージのサマリー

ローマの百人隊長は、自分のしもべ(奴隷)が病気となり死にかけていたので、ユダヤ人の長老たち(ラビ=律法学者)を仲介者としてたて、そのしもべの癒しをイエス・キリストに依頼した。長老たちが“世・よ”的な価値基準・行動原理で(百人隊長は特別な依頼をする)「資格のある人」としたのに対し、百人隊長は「神様の教えを第一とする」価値基準・行動原理によって(異邦人の自分はユダヤ人のイエス・キリストと同じ屋根の下にいることさえ)「資格がない者」とした上で「御言葉は必ず成就する」という確信の下、「おことばをいただかせてください」と願い出た。その信仰と願いに応え、「しもべの癒し」は成し遂げられた。神様が喜ばれる“信仰”とは、《“創造主”なる“唯一の神様”》だけを信頼し、その権威〈事を動かす力・支配力〉の下に身を委ねることである。神様は、そのような“信仰”を持つキリスト者たちの祈りと願いに、御心に従って最善・最良のご応答をしてくださる。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

既得権益を守ることを第一としていたユダヤ人長老たちの偽善の中で、神様の教えを第一としていた百人隊長の忠実さが際立っている。律法を重んじているはずの長老たちが目先の利益だけを考えて律法を含む神様の権威を軽んじ、救いから引き離されている立場である百人隊長が、律法を含む神様の権威を信じて疑わず従っている様子がつぶさに描かれている。この百人隊長の姿から、私自身も異邦人で救いにあずかった者として、神様をもっと信頼し、その権威の下に身を委ねきり、祈り願ってもいいのだと思った。これが神の民とされた者の姿である。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

神様だけを信頼し、

その権威の下に身を委ねきる。

この信仰を持つ者を神様は喜ばれ、

祈りと願いを聞き届けてくださる。

© イエス・キリスト誠心教会

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