
A.K.
2025年1月26日
《Scripture64 :『人々があなたがたを受け入れない場合は、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。』ルカ9 : 5》
ルカ9 : 1-5
1) メッセージのサマリー
“神の国の福音”を伝える者たち(伝達者)の責任は、それを聞く者たちが「正しくわかるように」伝えることである。そのためキリストは、弟子たちが自らの力で「さらに良いもの」を調達することをやめて、「与えられたもの」で満足しそれを最大限に用いることを命じられた。“神の備え”だけに頼れば、神様のなさる“働き”を最大限に展開してゆくことができることを、学ばせるためであった。 一方で、“神の国の福音”を「正しくわかるように」伝えられた者たち(受け取り手)が、それを拒絶した責任は、本人たちに帰する。伝える者たち(伝達者)は「それ以上の何かを為さなければならない」という責任から解き放たれ、伝えた結末に囚われることなく、常に次の新しい“良い働き”に取り組まなければならない。
2) インスピレーション&アプリケーション
「足のちりを払い落としなさい」が意味するところは、神の国の福音を正しくわかるように伝えるという責任を十分果たした上で、それ以上何かなさねばならないことから解放されているということであった。それは、結果に囚われて与えられた賜物を浪費することなく、新しい良い働きを進めて行くために必要なのである。「自分は十分に責任を果たしたのか」というところで躓き続けてしまいそうだが、それこそ「囚われ」になりかねない。するべきことはなした上で前に進んでいくことができるのは神様の恵みであり、また私たちのよき人生の歩みに欠かせない行動原理であると思った。また、この箇所の前半の「旅のための準備」に関しても、自分の力だけで備えようとしなくても、神様に頼り、すべきことに集中していれば、必要は神様が満たし、また働きそのものも神様が進めてくださるという約束だと感じた。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
必要を満たし働きをなすのは神様。
私たちは必要を心配せず結果に囚われず、
いつも新しい働きに力を注ぐことができる。