
A.K.
2024年10月20日
《Scripture56 : イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。ルカ4 : 8》
ルカ4 : 5-8
申命記6:12-14
コロサイ3:5
1) メッセージのサマリー
〜荒野の誘惑〈2〉〜
イエス・キリストは、アダムが選択した【“神中心”→“自己中心”】の結果もたらされた“偶像礼拝”の呪いを、悪魔の誘惑を神様の御教えで跳ね返し【“自己中心”→“神中心”】を選択することで、神様だけを自らの支配者として身を委ねる者たちがその呪いから解かれることを確立された。“偶像礼拝”とは、“自分の世界”に創造主なる神様以上の存在を持ち、それに従って生きることであり、“むさぼり”とは、自らの“たましいの必要”を満たすために、「これがあれば!と思うもの=最後のワン・ピース」を手に入れようとし続ける悪循環パターンである。この“むさぼり”に囚われている者たちは、それらを「与える」と偽る“偶像”の支配に身を委ね、それらを崇める“偶像礼拝”を行うようになり、私たちの“たましいの必要”を真に満たしてくださる神様から離れてゆくことになる。キリスト者は、“世・よ”に満ちている様々な偶像礼拝を徹底的に避けて、創造主なる神様だけを“礼拝し従う民”として地上の人生を生き抜いてゆかなければなければならない。
2) インスピレーション&アプリケーション
“偶像礼拝”というと宗教的なものを思い浮かべ、すでに排除していると思い込んでしまうが、私たちにとって“偶像”=神様以上の存在となり得るものはここかしこに存在する。お金はもちろんのこと、心の平安、他者評価、抑圧からの解放…自分の“たましいの必要”を満たしてくれると思うものに強く惹かれて満たされようとすることが“むさぼり”であり、“偶像礼拝”であるのだ。私たちは、この“偶像”を目の前にちらつかせ、私たちを神様から引き離そうとする「悪魔が支配する世に生きる神の民」であることを肝に銘じておかなければならない。自分が引き寄せられやすい“偶像”と向き合い、創造主なる神様だけに求める、神の民としての選択をイエス様がこの場面で明確に教えてくださっている。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神様以上の存在を持たず、
神様以外の支配を受け入れない。
神の民の要となる選択。