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〜聖書「重要聖句」講解<50>〜

A.K.

2024年9月8日

《Scripture50 :「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」マルコ14 : 36》

マルコ14 : 32-36

1)   メッセージのサマリー

“人の子”として来られたイエス・キリストは、ご自分がこれから経験する“十字架の死”を前にして深く恐れ、絶望感に包まれていた。この絶望的な状況の中で、一人で父なる神の御前に出て祈られたイエス・キリストは、


1)神様がすべてを御心のままになされることを認め、

2)自らの願いはこの状況が「なくなること」と伝えつつ、

3)最終的には「神の御心に全てを委ねて従う」


ことを選択し願った。神様は、そのようなイエス・キリストの祈りと願いを聞き入れて、“十字架の死”による贖いと“三日目のよみがえり”による“永遠のいのち”の付与という、“人類の救済”の御業を完了された。キリスト者であっても、祈りと願いがかなわず、すべての希望が閉ざされた“絶望”の中に陥ることがある。その“絶望感”に取り囲まれた状況の中でこそ、私たちが神様の御心に全てを委ねる“選択・決断・実行”をする時、神様はその御業を進め備えられた“新しい良いもの”を現してくださる。


2)   インスピレーション&アプリケーション

御心の計画を知っていたイエス様でさえも、自分の願いが叶わないという絶望の淵に立ち、葛藤されたという事実。(自分は神の子だからとすんなり十字架の死を受け入れたわけではなかった。)しかしその絶望と葛藤の中、自分の願いをなかったことにせずに父なる神に伝えた上で、最後には御心を選択していったこのプロセス。自分の願いと祈りが聞かれず、私たちが失望するとき、「神様から一時期離れたとしても、必ず戻ること。戻らなければその意味がわかることはない。」「絶望するときにこそ、神様にしつこくすがりつき近づいていくこと。」というメッセージが心に響いた。自分の願いは願いとして神様に伝えつつ、しかしその願いを超えて御心を選択する先に、神様は新しいそしてさらに良きものを体験させてくださるのだ。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

絶望の淵にある私たちの願いと祈り。

神様は私たちがゆだねた御心の中に、

さらに良きものを備えていてくださる。

© イエス・キリスト誠心教会

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