
A.K.
2024年8月25日
《Scripture48 :「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」マルコ12 : 43》
マルコ12 : 41-44
1) メッセージのサマリー
金持ちたちが他者評価を集めるために大金(有り余るものの一部)を献金箱に投げ入れたのに対し、貧しい寡婦はその時に自分が持っていた全てを献げたのを見て、イエス様はその寡婦の献げものをよしとされた。キリスト者は、“地上の人生”に神様から託された様々な“良きもの”を、神様の御働きの必要に応じて“献げもの”としていつでも喜んでお返しすることが必要である。それができるためには、この寡婦のように「自分の人生の全てを神に献げる=献身」という“世界観・価値基準・行動原理”を備えられるように、“スピリチュアリティー・霊性”の鍛錬を積み重ねていかなければならない。神様は、私たちが「何を献げたのか」の“真実”をわかっていてくださり、それに相応しく私たちに報いてくださる。
2) インスピレーション&アプリケーション
礼拝、賛美、献金、奉仕、子育て、またそれにかかる時間と労力… 私たちが心から献げるもの(お返しするもの)を神様はよしとされ、またそれが世の中でどう評価され得るとしても、神様はその真実を知り、よしとされ、十分だと喜んでくださる。このことが私に迫ってくるメッセージであった。世の基準で測り「これで十分だろうか、神様は喜んでおられるだろうか」と知らず知らずのうちに心配していた自分の姿に気づかされた。そもそも私たちが持っているものは、目に見えないものも含め、全て神様のものであり、地上の人生でお預かりしているものである。それをときにかなって喜んで、また自信をもってお返しすることができるように、いただいているものに感謝し満ち足り、また大事に管理しつつ、日々、神様との絆を深めて主の真実をより深く悟れるようになりたいと思った。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
私たちの心からの献げものを
神様はよしとされ喜んでくださる。
世の基準で比べる必要はない。