A.K.
2024年8月18日
《Scripture47 :「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」マルコ12 : 17》
マルコ12 : 13-17
1) メッセージのサマリー
キリスト者は、“世・よ”の人々とその作り上げた“今の世界”の中で、「平和:争いがなく穏やかな関係」を保ちながら生きてゆくことが必要である。それは、“世・よ”の内側深くに身を置き、置かれた場所に“神の国=神様のご支配”を拡げてゆくためである。しかし、キリスト者は“世・よ”の人々とは違う“神の民”であり、“世・よ”に生きる限り、その“世界観・価値基準・行動原理”との葛藤に必ず直面する。“神の民”としてのアイデンティティーを保ちながら、自らが置かれた「この時代・この国」をよく理解しつつ、“世・よ”の“世界観・価値基準・行動原理”に同化することなく、神のみ前に正しいとされることを選択して生きる“地上の人生”を歩んでゆかなければならない。
2) インスピレーション&アプリケーション
普段は敵対しているパリサイ人とヘロデ党が、イエス様を罠にかけようとした質問に対して、イエス様が見事に切り返した、その場面である。すでにある社会の仕組みの中で生きている私たちキリスト者が、どのように生きるべきかを示されている。社会とのつながりが薄くなっており、世で出会う葛藤に非常に鈍感になっている私だが、毎朝視聴している連続テレビ小説の中で繰り広げられている、様々な多様性と法律上の制限に、もやもやしたり共感したり…キリスト者としてはどう考え、どう行動するか、自分がドラマの中にいたらどう振る舞うか、などと毎日朝から考えさせられている。ここに葛藤が生まれること自体が、“神の民”の生き方そのものなのかもしれない。と同時に、「神のもの」としてのアイデンティティーを保ちながら、ドラマの中だけではなく、実生活でもしっかりと世に根を深くおろさなければと思わされた。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
“神のもの”である私たちは、
変わっていく時代のニーズを理解しながら
変わらない“神の義”を求めて行動する。