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〜聖書「重要聖句」講解<44>〜

A.K.

2024年7月28日

《Scripture44 :「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」マルコ9 : 23》

マルコ9 : 20-27

1)   メッセージのサマリー

人は、自分の“望み”が自分の“望んでいる姿”で現れたときにしか、それが「実現した」と認めることをしない。この父親も自分の望み通りになしてもらいたいという条件付きで、息子の癒しと解放をイエス様に願い出た。自分が望む結果をもたらす“神の御業”だけを求め続ける者たちは、御業の現れを目にしても、その真実性を受け入れず“真の恵み”から遠ざかってゆく。しかし、イエス様に「不信仰」と言われたこの父親は、その態度を悔い改め、神様の御心と御業の最善・最良を受け入れることを選択・決断し、それが実行できるようにと神様の助けを求めた。このように、どんなことでも成し遂げられる神様が、その中から私たちにとっての最善・最良をなされると信じ受け入れる者たちは、神様の御業の“真の恵み”を手にすることができる。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

自分が望んだこと、願ったことが叶わなかったとき、あるいは望んでも願ってもいないことが起こるとき、「なんでこんなことが自分の身に起こるのか」と文句を言いたくなる。しかし、文句ばかりが口をついている限り、苦しさは変わらない。神様がなぜこのことを起こされているのか、今はわからないけれどもこのことにも意味があり、主の最善・最良がなされると信じることを決めると、不思議とその苦しさから解放される。「自分の望みとは違ったことが起こり、真実が明らかにされるまで、多くの場合タイムラグがある。私たちはここをどう耐えられるのか。葛藤があったとしても、神様の最善・最良を信じて求めることが大事。」とのメッセージと証に励ましをいただいた。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

願った通りにならないことも

いつか明らかにされる神様の真実。

それはどんなことでもできる方の

最善・最良セレクション。

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