A.K.
2024年6月30日
《Scripture40 :「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。」マルコ7 : 9》
マルコ7 : 1 - 13
1) メッセージのサマリー
本来は良いもの、正しいもの、価値あるものを、自己利益のために用いて振りかざすのが“偽善”である。“偽善”は、パリサイ人の行動原理であったように、この世に満ち溢れ、支配力に満ちている。そして神様がお与えになった“良いもの・正しいもの”であっても、“罪=自己中心”に支配された人間は、それを自らの利益を図るための“武器”として用いる。それを神様は“偽善”として断罪される。私たちがその“偽善”の支配力に陥らないためには、私たちの中にある自らの“偽善”を悔い改め、そこにある“真実”を悟って同調せず、するべき「正しいこと」をしなければならない。
2) インスピレーション&アプリケーション
パリサイ人のように、自らの既得権益を守るためになす“偽善”は、この世に溢れ返っていると思う。例話として挙げられた米国大統領選においても、「人は、誠実さで自分たちのリーダーを選ばない。喧嘩に強いかどうかで選ぶ」との心理学者のコメントは確かに、日米違わず真理を突いていると思った。結局は自分たちに何の“良いもの”をもたらしてくれるのか、ということに私たちは引き寄せられるのである。私自身も良いことをしているつもりであっても、その本心は何かと突き詰めれば、不正ではないにしても“偽善”であることも多いのかもしれない。そこで重要なことは、不正を許す一部とならないこと、気づいたら悔い改めて、いつでも戻ることができるということである。「常に正しく生きることはできないが、生きようとすることが大事」という言葉に励まされた。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
何を守り、何を得ようとしているのか。
真実と向き合って不正には同調せず、
正しく生きようとする小道を選び続ける。