A.K.
2024年6月23日
《Scripture39 :「『預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。』」マルコ6 : 4》
マルコ6 : 1 - 6
1) メッセージのサマリー
人は誰しも、安定した「日常生活」の中で、安心・安全に暮らしてゆくことを求めている。神様は私たちキリスト者の“地上の人生”にそのような“日常”を与えてくださるが、その“自分の世界=日常”に、神の時に、御心にかなった“神の国・御業の現れ=非日常”をお現しになる。“自分の世界=日常”の安心・安全を神様のご支配にゆだねる者は、日常に侵入してきた“非日常”が神様の御業の現れであるか否かを見極めた上で、“非日常”の拡がりをゆるし、備えられた“神の恵み”を受け取ることができる。一方で、安心・安全を求めて“自分の世界=日常”を自らの手で保とうとする者たちは、その“神の国・御業の現れ=非日常”を受け入れずに“日常”に閉じこもり、備えられた“神の恵み”を受けることはできない。
2) インスピレーション&アプリケーション
郷里ナザレの人々にとって、イエスは自分たちの“日常”にいた存在であったため、イエス・キリストの教えや御業の現れを目の前にしても、<神様からのもの>として受け入れることはしなかった。彼らは、「“自分たちの世界=日常”の中に侵入してきた“神の国=非日常”を受け入れなかった」のである。日常の中に突然現れる“非日常”に対して、懐疑的になったり、固まってしまったり、日常に戻って閉じこもってしまったり。見極めにも時間がかかるかもしれない。しかし、受け入れることができるかどうかは、そもそも“日常”の中で神様のご支配に身をゆだねているのか、“非日常”に飛び込む神様への信頼と勇気があるのか、なのだ。たとえ間違えたとしても、失敗したとしても、ホールドしてくれる神様のセーフティネットは、何にも変えられない真の安心・安全を与えるのだと思った。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
日常の安心・安全に感謝しつつ、
神様がなさる非日常にも心を開く。
私の世界の隅々に神の国が拡がっていく。