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〜聖書「重要聖句」講解<27>〜

A.K.

2024年3月24日

《Scripture27 :「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。」マタイ27 : 50》

マタイ27 : 35-50
ローマ3 : 21-26

1)   メッセージのサマリー

イエス・キリストの十字架による死は、旧約聖書に啓示されている数々の預言の成就である。罪を犯した全ての人間は、そのままでは神様の裁きを受けて滅びる(罪と死の法則)が、神様はその愛のゆえに、十字架で死なれたイエス・キリストを「自分の身代わり」として捧げられた“いけにえ”として認める者たちを赦し、「義=正しい・罪に問われない」としてくださる。つまりイエス・キリストの十字架の死は、私たちの自己中心の罪を裁く“神の義”と、神様を信じ自らの罪を悔い改める者たちに赦しを与える“神の愛”の両方を同時に成し遂げる、神様の奇跡の御業なのである。私たちキリスト者は、この十字架の死が、自分にとってどういう意味があるのかを深く悟り、正しく人々に伝えていかなければならない。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

メッセージの後半で語られたように、八百万の神を信仰する日本人にとって、罪と十字架の購いをすぐに理解することは難しい。以下のプロセスによって信仰の確信が得られてゆくというのは、自分自身の経験を振り返って、本当にその通りだと思った。

a.“創造主なる唯一の神”を自らの支配者とする。

b.“神中心”に生きる決断をする。

c.「十字架の購い」を受け入れる。

まずは創造主なる神様と個人的に出会う実体験があり、自分自身の力では“神中心”に生きることは難しいと経験した上で、自分の“自己中心(罪)性”が突きつけられ、キリストが私の罪のために十字架で死なれたことがリアリティをもって迫ってくる。正しく伝えるためにも、自身の信仰生活のためにも、より深い理解が必要だと思わされた。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

自己中心に気づいて初めて

キリストの十字架が自分にも迫ってくる。

正しい方は私を赦され、自由にされた。

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