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〜聖書「重要聖句」講解<26>〜

A.K.

2024年3月17日

《Scripture26 :「しかし、彼らはますます激しく『十字架につけろ』と叫び続けた。」マタイ27 : 23》

マタイ27 : 15-26
詩篇31 : 19-24

1)   メッセージのサマリー

SNSで“怨念”を匿名で吐き出せるこの時代、誰もがそのターゲットとなり、為すすべもなく“怨念の奔流”に巻き込まれる危険と隣り合わせで生きている。特に“世の終わり”に向かう“迫害の時代”にあって、私たちキリスト者は、悪意を持った者とそれに煽動された者たちの“怨念の標的”となって、いわれのない非難と攻撃の“怨念の奔流”に巻き込まれるときが来る。しかし私たちは、それを恐れなくてもよい。なぜなら、その只中で神様は、慈しみによって備えられた“守りの盾”で私たちを取り囲み、様々な恵みを通して“乗り越える力”を授け、状況に耐えて“神の時”を迎える「勇気と強さ」を与えてくださるからである。そして「立つべき正しい場所」へと導いてくださる。それは、キリスト者だけに備えられた“特別な恵み”である。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

この聖書箇所のような人々の怨念が渦巻くこの時代、それが私たちに向くことも十分にあり得るが、それを恐れなくてもよいということが希望であり慰めである。神様が守りの盾で取り囲み、備えの中でかくまい、乗り越える力を与えてくださると約束してくださっているからだ。そしてその事態をも用いて、御心がなされていく。私たちにできることは、神様を第一とし、託されたことに誠実に取り組みながら、神のときを勇気を持って待ち望むことである。どんなことに直面したとしても、「雄々しくあれ。心を強くせよ。」と励ましてくださる神様が共にいてくださるのは、私たちキリスト者に与えられた“特別な恵み”なのである。また、人々の怨念の仕組みを理解し、状況を冷静に分析できるということも、非常に大事なことであると思った。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

何があっても恐れなくてよい。

備えられた守りの盾の中で心強められ、

どんな状況をも乗り越えることができる。

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