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〜聖書「重要聖句」講解<21>〜

A.K.

2024年2月11日

《Scripture21 :「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」》

マタイ25:40

1)   メッセージのサマリー

人は、「自分の手の中にある人々・自己裁量でどうにでもできること」すなわち“小さい者たち”の前に立ったときに、その人間存在の本質にある本性が現れる。神様は、そのような状況の中でこそ、託された“小さい者たち”を“神中心”の“世界観・価値基準・行動原理”によって正しく取り扱うことを、私たちに教えておられる。世の終わりの時、全ての人々が神様のみ前に立ち、その為したこと全てについて神様からの裁きを受ける。その評価基準は「何をしたか」ではなく「なぜそれをしたか」である。神様から託された“小さい者たち”について、「自分にとってどのような利益があるか」ではなく、「神様のために忠実に」取り組んだ“良い働き”を、神様は正しく評価し報いてくださる。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

礼拝メッセージを聞いていて思い出されたのは、虐待事件や芸能界の性加害事件だ。まさに「自分の手の中にある人々」であり、「自己裁量でどうにでもできる」と思った子供たちが被害者である。人間の本性は“小さい者たち”を前にしたその瞬間に現れるのだ。親と子、顧客と店員、先生と生徒、上司と部下など、私たちが日常生活で“小さい者たち”に出会う機会は、実は少なくないし、一見よいと思われることをなしているかもしれない。しかし私たちは“小さい者たち”を前にしたときにこそ、神様が私たちに何を託しどう振る舞うことをよしとされているかに立ち返ることが重要なのである。終わりのときに、羊グループに入るのか山羊グループに入るのか…その評価基準は「何をしたか」以上に「なぜそれをしたか」なのである。

 

3)   メッセージから紡ぐフレーズ

“小さき者”を前にして

自己利益ではなく御心を求め

正しく行動しようとする者を

神様は喜び報いてくださる。

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