top of page

〜聖書「重要聖句」講解<139>PART1〜

A.K.

2026年8月16日

《Scripture 139:『だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」』(マタイ 6:9)》

マタイ6:5-8

1)   メッセージのサマリー  PART1  

 パリサイ人・律法学者たちの“祈り”は、人からほめられ注目されるための宗教的な行為・善行であり、神様のみ前では「偽善」であると、イエス・キリストは教えている。そのような他者からの評価という「自分のために消費されるもの=自分の報い」を目的通りに受け取ったとしても、それは神様のみ前に何の価値もないものである。“祈り”とは、“自己中心”の目的のために何かを手にするための手段ではなく、神様と祈る者 との「深い交わり」である。 そのような“祈り”をささげる者たちに、神様は御心にかなった「報い」を与えてくださる。 さらに、“祈り”の方法論にこだわり「それを達成すること」によって“祈り”が聞かれると考えてはならない、とも教えられている。 なぜなら、神様は私たちのすべての「必要の全てを知っておられ」、神の時に最善・最良でそれを 満たしてくださる方であるからである。神様の御業の現れを、祈る者たちが自らの「行為」によってコントロールすることはできない。


2)   インスピレーション&アプリケーション

主の祈りの前段部分。“祈り”とは何であるか、イエス・キリストが直接私たちに教えられている箇所である。“祈り”とは、“自己中心”の何かを達成するための手段ではなく、人に見られない場所で神様を真ん中に置いて、神様と自分だけの1対1で向き合う「神様との深い交わり」の実践であるということ。祈りやデボーションはもちろんとても良いことであるが、形骸化・形式化していないか、神様を中心に置いたものではなくご利益信仰となってはいないか、確認し続ける必要があると思った。その行為を積み重ねることで自己満足となっていてはあまりにももったいない。人からの評価のためではなく、自己満足のためでもなく、神様との深い交わりを求めて、賛美とともに祈りを捧げ、ご応答を受け取っていきたい。飢え渇きとともにみ前に出る者の祈りを、神様は必ず聞き届け応えてくださると信じて。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

自分の目的達成や自己満足のためではない、

神様と私だけの特別な深い交わりの時間。

神様はその祈りを必ず聞き届けてくださる。

© イエス・キリスト誠心教会

bottom of page