
A.K.
2026年7月5日
《Scripture 133:『祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」(ヨハネ19:15)』》
ヨハネ19:7-16
1) メッセージのサマリー
ローマ皇帝を“王=支配者”として「“世・よ”の力」を握っていた総督ピラトは、「“世・よ”の力」を使ってイエス・キリストを抹殺しようとするユダヤ人指導者(民衆)たちに、イエスが「あなたがたの王」はではないかと問うた。それに対しユダヤ人指導者(民衆)たちは、自らの既得権益を守るために、「ローマ皇帝=“世・よ”の力。その背後にある世の支配者である悪魔」を自らの“王=支配者”とすることをはっきりと選択し、そのように宣言した。人は、自らの欲望を満たすために“世・よ”にあるものを自らの“王=支配者”とし、真に天地万物の支配者である《“創造主”なる“唯一の神”》を拒絶する。しかし神様は、神様だけを唯一の“王=支配者”とする者たちを、“十字架の贖い”という“救いの御業”の中に導いてくださり、すべての人々に「誰を“王=支配者”とするのか」という選択を問うておられる。
2) インスピレーション&アプリケーション
誰を自分の世界の王(支配者)としているのか。王は私たちにどんな良いことをしてくれるのか。またこの人が王になったらどんな悪いことがあるのか。選挙でも、私たちはそのような評価基準で首長を選ぶ。祭司長たちは既得権益を揺るがすイエス様を拒絶し、既得権益を守ってくれるカイザルが支配者であることを宣言した。私たちの信仰でも、初めはこのような基準によって神様を選ぶが、どこかで「主客逆転」が起こり、自己中心から神中心の転換が必要である、というメッセージが今更ながら強く響く。葛藤を前に、神様のご支配の流れに身を委ねきれていない自分、恐れと不安から選択できずに身動きできなくなっている自分。「誰を“王=支配者”とするのか」という問いに対し、今一度、神様を支配者とする選択をし直したい。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
私は誰を支配者とするのか。
神様のご支配に身を委ねきるなら、
どんな選択をしたとしても世界は壊れない。