
A.K.
2026年6月7日
《Scripture 129:『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます』(ヨハネ15:5)》
ヨハネ15:1-10
1) メッセージのサマリー
新約時代のいま、神様は「枝で実を結ばないもの=“永遠のいのち”を受けていない者」と「枝で実を結ぶもの=“永遠のいのち”を受けた者」を選別される。そして「枝で実を結ぶもの=“永遠のいのち”を受けた者」が“地上の人生”で「多くの実を結ぶ=真に価値あるものを創造する」ことができるためには、イエス・キリスト(神様)に「とどまる」ことを常に“選択・決断・実行”し続けなければならない。イエス・キリストに「とどまる」とは、イエス・キリストの「愛の中にとどまる」こと、つまりイエス・キリスト(神様)の「戒めを守る=支配を受け入れてその教えに従って生きる」ことであり、「実を結ぶ」ために必要なものの全ては、イエス・キリスト(神様)が授けてくださる。一方で、イエス・キリストに「とどまる」ことをしない者たちは、“地上の人生”で神様から託された使命を全うして「実を結ぶ=真に価値あるものを創造する」ことはできない。
2) インスピレーション&アプリケーション
実を結ぶ者とされた私たちが、もっと多くの実を結ぶためには、剪定(刈り込み)される必要があるが、それは価値ある“地上の人生”を生きられるようにという神様の鍛錬である。それを必要な訓練として受け取り、乗り越えていくそのプロセスの中で私たちは強められ、しなやかさを身につけることができる。また、枝がぶどうの木につながっていれば枯れずに実をならせることができるように、私たちが神様の力が流れ込んでくる経路をしっかりと保ち、神様のご支配に身をゆだねる、それがイエス・キリストにとどまる、つながるということなのだ。しっかりと木にとどまり、つながった上で刈り込みを受け(しなやかさを鍛え)、必要な部分に栄養が注入されるようにした枝が、真に価値あるよき実を結ぶと、イエスさまは約束されている。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
キリストにとどまる者は、
鍛錬を経て整えられ、恵みを受け続け、
豊かな実をならせるものとされてゆく。