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〜聖書「重要聖句」講解<124>〜

A.K.

2026年5月3日

《Scripture124:『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』ヨハネ12:24》

ヨハネ12:20-28

1)   メッセージのサマリー

“地”に落ちずそのまま房に着いたままの“一粒の麦”は、“一粒の麦”のままで終わってしまう。一方で、“地”に落ちて(=死んで)根を下ろした“一粒の麦”は、その“地”の栄養を充分に取り入れて養われ、自らの中に備わっていた「新しいいのちを創造する仕組み」を働かせて成長し、多くの“新しい実”を結ばせるようになる。“一粒の麦=私たち一人ひとりの存在”が、その結ばれている“房=古い世界”から離れるためには、「自分に死ぬ=“自己中心”をやめる」ことを“選択・決断・実行”しなければならない。つまり“自己中心”の“自分の世界”にとどまって生きようとする者たちは、“古い世界”の束縛に支配され続け、自分の欲や欠けを満たすために地上の人生を消費し、神様が備えておられる「真に価値あるもの」をその人生の中に見出すことはできない。一方で、 “自己中心”をやめて“神中心”に生きようとする<自分に死ぬ>キリスト者は、神様によって置かれた“新しい世界”に根を下ろし、与えられた“賜物”を生かして豊かな実を結ばせる“地上の人生”を歩むことができる。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

一粒の麦は、置かれた地に根を下ろしその滋養によって養われるならば、収穫の時には何十何百粒となり、その次の収穫にはさらに何十何百倍もの粒をなす、無限に実を結ぶ可能性を持っている。一粒のままで終わるのか、それとも成長して多くの実を結ぶのか。どちらも同じく可能性を秘めた一粒、私たち一人ひとりの存在である。この分かれ道となるのは、古い世界にとどまるか、古い世界を離れて新しい世界に身を置くのか、私たち自身の選択である。であれば私は俄然、後者を選択し、神様に自分の身をゆだね切って根をはり養われ、多くの実をなすことに用いられる地上の人生を送りたい。そしてこの神様が造られたシステムでは、多くの実をなすのに自分の力で頑張り抜くことを目指す必要はない。ただ神様に全てをお任せする、その選択だけなのである。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

可能性を秘めた私たちが古い世界を出て

神様の新しい世界に身をゆだね切るとき、

次世代へと続いてゆく豊かな実を結ぶ。

© イエス・キリスト誠心教会

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