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〜聖書「重要聖句」講解<119>〜

A.K.

2026年3月22日

《Scripture119:『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。』ヨハネ8:7》

ヨハネ8:1-11

1)   メッセージのサマリー

ユダヤの宗教指導者たちが“姦淫の女”に正当性のない不十分な訴えを成したのは、イエス・キリストがどう答えたとしても告発できるよう言いがかりをつけることが目的であった。しかしそこでイエス・キリストは、網を仕掛けた者が自ら仕掛けた罠に落ち、自滅するのを待ちつつ、宗教学者たちが言い立てている「モーセの教え=旧約聖書」はもともと「三位一体の神」である自分自身が制定したものであり、彼らが悪用して用いていることを示した(「身をかがめて、指で地面に書いて」するべきことをなした)。宗教学者たちは問いをやめなかったため、イエス・キリストは教えを忠実に解釈して「自らが罪を犯していない者だけがこの姦淫の女に石を投げることができる」と宣告し、またイエスのもとに止まった“姦淫の女”に“罪の赦し”を宣言された。律法の時代が終わり“救い主キリスト(の十字架)”だけが唯一「罪を赦す」ことができること、「罪を赦された者」のその後の歩みが「罪と闘い罪を犯さないように生きる」ことであると教えられている。人は誰でも、やがて必ず神様の御前に立たされる時がくる。その時に問われるのは、「罪を悔い改めた者」であるのか否かである。


2)   インスピレーション&アプリケーション

この箇所は言わずもがな「人の罪を言い立てる者はまず自分の罪を見返さなければならない」とイエス様が宗教学者たちに言い、残された“姦淫の女”が罪赦された場面である。しかしそのことだけではなく、律法の終わりと十字架による赦しの時代の始まり(ユダヤ教の律法の束縛からの自由)という、境目に立っている重要な場面であるとのこと。この歴史的転換点に用いられ、真の救い主に赦され、罪からも律法からも解放された “姦淫の女”の思いは計り知れない。日々、自分の自己中心性に気づかされてはがっかりしている者だが、「罪赦された者」の恵みを噛み締めながら歩みを続けていきたい。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

罪ある者、罪悔い改めた者、罪赦された者。

キリストの十字架だけが真の自由をもたらす。

© イエス・キリスト誠心教会

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