
A.K.
2026年1月11日
《Scripture109:『イエ スはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。』ヨハネ2:11》
ヨハネ2:1-11
1) メッセージのサマリー
婚礼に招かれたイエス・キリストが、水をぶどう酒に変えられた奇跡。イエス・キリストは「律法(ただの水)ではなく十字架の贖い(真に価値あるぶどう酒)による“救いの御業”」の到来を現す「最初のしるし」を、
1)歴史的に卑しめられた地であったガリラヤ地方のカナの村で、
2)“世・よ”的な価値基準ではなく“神様の御心”に従った時に
行われた。それを目の当たりにした弟子たちはイエス・キリストを“救い主=神の子”として信じ受け入れたが、「イエス・キリストに従う=神中心の価値基準」を持たない者たちは、この出来事の“真の価値”を悟ることはなかった。神様は“世・よ”的な価値基準によってではなく、ご自身の御心にそった時と場所を選ばれ、“神の御業”をなされて、ご自身の栄光を現される。【“自己中心”→“神中心”】の世界に生きている者たちだけが、その“神の御業”の現れを目にして、その“真の恵み”を受け取ることができる。
2) インスピレーション&アプリケーション
婚礼でのぶどう酒の不足は、主催者である花婿とその父親の大失態となること、きよめのしきたり(口述律法)のために婚礼の場に大量の水があったこと、ただし緊急事態では何の役にも立たない「ただの水=死んだ水」であったこと、マリアに対するイエスの応答は当時のユダヤ人が優しく拒否する言葉であったことなど、この御業の場面と意味をより深く理解する学びがあった。特に印象的だったのは母マリアの態度。イエスの拒否(教え)により世的価値観で自分が対応・依頼しようとしていたことに気づき、神様に従うようにイエス・キリストに従うことを瞬時に受け入れた柔らかさに、私も倣いたいと思った。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神が選んだ時と場になされる御業。
悟り受け取る恵みを手にできるのは、
神に従う柔らかさと芯を持つ者たち。