
A.K.
2025年11月23日
《Scripture105:『「 父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」』ルカ23:34》
ルカ23:33-34
ローマ12:19-21
1) メッセージのサマリー
救い主が到来し、犯罪者の一人として十字架刑に処され、人々がその着物をくじで分けることは預言の成就であった。そのような“悪・あく”を為した者たちのためにも神へのとりなしをしたイエス・キリストは、“悪・あく”を為した者たちでさえも、「自分のしている罪の行い」に気づき悔い改めるなら“神の赦し”を受け取ることができること、そのために「十字架の贖い」が神のみ前に捧げられていること、また悔い改めない者たちには“神の裁き”が不可避であることを示された。そしてキリスト者が“悪・あく”に対峙したときには、“悪・あく”によって応じるのではなくかえって「善=神様の御前で正しい良いこと」を実践することによって、その“悪・あく”を“神の報い”の前に引き出すことができることも教えておられる。
2) インスピレーション&アプリケーション
「赦し」がテーマのこの箇所、このみことば。「悪に対し善で返す」「悪を前に神の赦しを乞う」人間には考えもつかない、この上なく厳しい選択であるが、だからこそこれが神の御業、御教えであることを、私たちははっきりと悟ることができる。十字架の上でこの言葉を発せられたイエス様。当然の事実としてサラッと流すのではなく、決して当たり前ではない贖いの犠牲、一方的な恵みの結果としての赦しであることを受け取る必要がある。また、相手の罪(悪)に対する復讐の権利を放棄しとりなそうとすることは、自分の罪を悔い改め赦しを受け取ること以上に難しい。しかし、この十字架上での一言、イエス様の姿があったからこそ、私たちが行くべき道を歩む(赦しを受け取り、復讐の権利を手放す、善をもって悪に報いる)ことができる、またそうしようと思えるのだ。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
神様の赦しを受け取り
神様に復讐の権利をゆだねる
十字架の上で示された解放への道